没落していたラグランジュを復興させた
「ラグランジュ・ルネッサンス」と呼ばれた物語には感激しました。。。
サントリーが所有するボルドーの格付け3級、シャトー・ラグランジュを再建した鈴田健二氏が、15日、亡くなった。65歳だった。通夜、告別式は親族と会社関係者でとり行われた。
鈴田氏は東京生まれ。東京大農芸学部卒。1968年サントリーに入社し、74年から3年間、ボルドー大学ワイン醸造学科に留学。現代ボルドーワインの父と呼ばれたエミール・ペイノー博士に師事した。
サントリーがシャトー・ラグランジュを購入した83年から、シャトーの副社長を務め、マルセル・デュカス会長と両輪になって、評価の落ちていたラ
グランジュ再建の原動力となった。90年にいったん帰国したが、95年にはシャトーに復帰し、2004年、後任の椎名敬一氏にバトンタッチした。
シャトー・ラグランジュは、サンジュリアン村の3級格付けにもかかわらず、前の所有者が管理と投資を怠り、荒廃していた。このままでは、サンジュ
リアン村全体の評価が落ちるという不安が、地元にあったという。サントリーは7500万フラン(25億円)で買収し、技術顧問にペイノー博士を据え、レオ
ヴィル・ラス・カーズのミシェル・ドゥロン氏からも助言を得る万全の体制で、再建にあたった。
休耕地に新たな苗木を植え、畑に排水管を敷設し、最新のステンレス発酵タンクを設置。セカンドワインのフィエフ・ド・ラグランジュを始めて、グランヴァンの質を上げた。
80年代以降のボルドーには、1級のシャトー・マルゴーなど、落ち込んでいた品質を向上させたいくつかの例がある。ラグランジュはその中でも代表的な成功例と見なされ、ウォール・ストリート・ジャーナル紙にも紹介された。
「資金の心配をせず、シャトーの大改修を手がけられた。恵まれていました。自然と一体になって進めるワイン造りは、理屈通りには進みませんが、努力しただけ、品質が向上するのを見るのは興味深かったですね」。生前にそう語っていた。
鈴田氏は優れた醸造家であると同時に、万人に愛される人徳の持ち主でもあった。閉鎖的な農村社会のボルドーで、日本企業が受け入れられたのは、現
地で学んだ鈴田氏が橋渡し役を果たしたからだろう。83年当時、日本企業の買収は経済侵略と見なされた。地元シュド・ウエスト紙には、サムライの姿をした
「エコノミック・アニマル」の奇妙な風刺画が載ったほどだった。
ボルドー人の誤解を解いたのは、ペイノー博士譲りの最新の醸造・栽培知識と、謙虚で和を重んじる人柄だった。格付けシャトーの醸造家として、フランスで認められた初めての日本人であるにもかかわらず、控えめな性格だった。
http://www.yomiuri.co.jp/gourmet/drink/wnews/20090819-OYT8T00329.htm