勝山晋作さんという方が亡くなられた、その大きな反応をFacebookなどを介してあちこちで見かけました。僕は1度たりとも直接お話をお聞きしたことがありません。
ワインというものを飲み始めて1年くらい?の右も左もわからない頃に、ラシーヌさんのオープンなイベントが開催された祥瑞のお店で、笑顔でワインを注いでくださった記憶だけがあるくらいです。festivinのイベントで100メートルくらい遠くからお見かけしたこともあるかもしれません。
自然派ブーム?の文脈とともに紙面などでお見かけすることが多かった印象を受けますが、対グランヴァン、対量産ワインというようなスタンスで自然派ワインを推すということでは無く、普段飲むならナチュラルに作られたワイン、過剰すぎたり操作しすぎないワインが、なんだかんだで結局、心地良いよね、という考えで、あらゆるワインを対象として受け入れながらひとつの視点・指針を示した、それがたくさんの人に共感されて影響を与えた。ある意味、ワインをワインから解放した、自由にした人だったのではないでしょうか。
土田美登世さんがインタビューを書き起こした『アウトローのワイン論』は、とてもオススメです。勝山さんが目の前で語っているように、ありのままに語尾やニュアンスも残しつつ、削り過ぎず盛り過ぎず、すいすいと読めて、じわじわと行間にあるものも感じられて腑に落ちる。まさに極上のナチュラルワインのような本。66ページまで一章が始まらない自由さも、この本らしい構成ですね。
「そもそもヴァン・ナチュールを日本語に訳した「自然派ワイン」ってなんだろう。「派」が気になる。派閥でわけるようなもんじゃない。」
「ヴァンナチュール=濁りワインと思っている人もいる。これはフィルターをかけているかどうかの話であって、先の記号(「酸化防止剤を入れていません。無農薬です。有機です。」)と同じで「濁っている、だからヴァン・ナチュールです」とはならない。ヴァン・ナチュールは飲んでみないとわからないんだよ。」
「これまでのワインのヒエラルキーを壊してしまうものかもしれない。でもだからといって、これまで体系化されてきたものを否定するわけではないし、ヴァン・ナチュールが否定されるものでもない。要はヴァン・ナチュールだからいいとか悪いとかではなく、ラベルに引っ張られるのではなく、「とりあえず飲んでから話そうか」でいいんじゃないか。」
印象的な言葉はたくさんありますが、素敵な人だったんだろうなと感じたのは、なによりこの言葉でした。
「日本は暑い。そんな暑い日、ベランダで涼みながらボーっとしたいときにボルドーのシャトー…いや、俺なら飲みたくないな。やっぱりビールか、スパークリング、ペティアン、キリッと冷やしたレモンサワーかもしれない。」